ホームレスになった経緯はわからないのですが、この問題、戦後の日本からもう何年経つのか、、、
下記の内容です
目次
北海道で
新型コロナウイルスの感染が拡大した2月、札幌の無料食堂は窮地に立たされていた。感染拡大を防ぐため食堂は閉鎖。それでも「憩いの場」をなんとか維持しようと奮闘した牧師がいる。
長年、
生計を立てるための仕事をしながら牧師を続けてきて、子どもに食事をさせるのにも苦労した。その経験から、ひもじい思いをしている人たちには定期的に食事があることが大切だと訴え、スタッフとともに食堂が閉鎖になっても弁当を作り、なんとか食事の提供を続けている
上記の記事は
札幌市豊平区の札幌豊平教会は、2016年6月から「朝ごはん食堂」を月に1回スタート。 その活動を広げる形で、2017年4月から毎週金曜の昼、無料食堂を始めた。これまで年末年始も休まず続けてきた。
来訪者は、
中高年が多く、ホームレスが約3割、残りが年金生活の人、生活保護を受けている人で、毎週35人前後が利用していた。単身者で孤独な男性が多いという。
この記事に対してのコメント
最初は無料で食事出来ることを有り難がっていても、ある程度続いていくとそれが当然のようになっていき感謝の意識が薄れていく。そしてもう存続できないとなると、自分達の権利が奪われたような感覚になる。あくまで善意なのに。
一点だけ。生活保護受給者はなぜ無料食堂を利用しなければならないのか。つましい生活をしていても暮らせないのか。ギャンブルに全てつぎ込んでしまうから金がなくなるのか。牧師さんもそこは本人によく考えさせるべきではないだろうか。
無為徒食な暮らしを送るよりも、自ら考え、自らの人生を見直す時間を持つこと。それは神が与える慈悲ではないだろうか。
こうした活動は、資金と気持ちの両方がなければ続けられない。
上野の台東区役所近くでも、弁当配布に並ぶ列に、いかにも、って方とは違う勤め人風の方の姿が目立つようになっている。
足元の景気悪化は、思う以上に深刻だよ
まとめ
答えが見つからない問題だか、働きたい方、そうで無い方、やる気がある方、無い方、全てを諦めた方、など全員を救うのはどうなんだろうか?やはり答えが見つからない。